M 社は,20 代〜30 代を主要顧客とした中堅のアパレル製造小売事業者である。
M 社は,全国の都市部を中心に 100 店舗程度を展開しており,同業他社に先駆けて 15 年前から自社 EC サイト(以下,EC サイトという)を開設して通販にも取り組んできた。また,EC サイトの開設に合わせて,個人顧客の会員向けポイントサービスを開始し,登録会員数は 100 万人を超えている。
会員向けポイントサービスでは,実店舗及び EC サイトでの購買データがデータベース化され,会員の購入金額に応じて実店舗や EC サイトで商品代金として利用可能なポイントを付与しており,ポイントの利用率は高い。
また,M 社では在庫管理システムで,実店舗や倉庫の在庫データを管理している。
〔M 社の事業概要と課題〕
M 社は,世界のファッション見本市から半年先の流行を予測し,春物,夏物,秋物,冬物の年 4 回のシーズンごとに商品開発を行い,販売している。生産は自社工場で行っており,近年設備投資を行い,短納期での多品種少量生産にも対応可能になった。
M 社の商品開発は,従来は手書きのデザイン案を基にした実物サンプル品を作成し,実物サンプル品を人間のモデルが着用してデザインの確認と修正を行ってきた。手書きのデザイン作成は,デザイナー 1 人当たり 1 日 1 件程度が限界である。M 社は,自社工場の生産に関する設備投資に合わせて,デザイン案とサンプル品をデジタルデータで作成し,人物画像とサンプル品を合成して確認と修正が可能なデザイン支援システムをベンチャー企業と共同開発した。これによって,デザインの作成効率は 4 倍程度にまで向上している。
また,M 社は,若手デザイナーを積極的に登用し,若手デザイナーが流行を的確に捉えた商品を開発することによって,顧客に評価され,売上げを伸ばしてきた。しかし,最近では情報流通速度の高まりによって流行がシーズン期間中に変化するようになり,特にシーズン後半の売上げが停滞するようになった結果,M 社全体として売上げが減少傾向にある。これによって,M 社の経営状況は悪化してきており,大きな経営課題となっている。
〔会員アンケートの結果〕
M 社は,顧客のニーズや体験を把握し直し,現状の経営課題に対する解決策の検討を目的として,会員に対して大規模かつ詳細なアンケート(以下,会員アンケートという)を実施した。その結果を分析したところ,次のような傾向が確認できた。
- 流行をいち早く取り入れながらも他人と異なるファッションに魅力を感じるという会員が多かった。
- シーズン中に商品の入替えがなく,シーズン後半になるとその時点の流行を捉えた商品が見つからなくなるという意見が多かった。
- 販売するデザインに会員の意見を取り入れてほしいという意見が多かった。
- EC サイトによる通販では,気になった商品をとりあえず買い物カゴに入れて,今後購入したい商品リストのように使用するが,購入しようと思ったときに品切れになっていて残念だったという体験を有する会員が多かった。
- EC サイトによる通販で購入した商品を実際に着用してみると,想像していたイメージと異なるという理由で返品した体験を有する会員が多かった。
M 社は,現状の経営課題を解決するために,会員アンケートの分析結果を踏まえた検討を行った結果,顧客体験価値(UX)の向上が必須であると考え,新たなビジネスプロセスを構築することとした。ただし,新たなビジネスプロセスの構築は M 社には大きな投資となるので,慎重な進め方をする必要がある。
〔新たなビジネスプロセスと実現策〕
新たなビジネスプロセスでは,自社の強みを活かし,“最新を最短で”をコンセプトとして,1 か月ごとの短期サイクルで,デザイン案に対する会員の投票や感想を基に多品種少量の新商品を市場に投入することとした。
新しいビジネスプロセスの実現には,デザイン案に対する会員からの投票や感想を限られた期間で収集する仕組みが必要となる。また,デザイン案を効率的に作成する能力や短期間で商品を生産する能力も求められる。
新しいビジネスプロセスでは,1 か月サイクルの新商品の市場投入を実現するために,次のようなプロセスを採用することとした。
① 若手デザイナーが新しいデザイン案を常に作成し,大量にストックする。
② 常にストックされ続けるデザイン案の中から,翌月に販売するデザインの候補(以下,候補デザインという)を一定数選択する。
③ 過去 3 か月間に商品の購入で得た獲得ポイント上位の会員を投票者として選定し,販売開始の 4 週間前から,候補デザインの中から着てみたいものに投票してもらうと同時に,候補デザインに対する感想も提供してもらう。
④ 投票や感想の提供を行った会員にはポイントを付与する。
⑤ 販売開始 2 週間前の時点で投票や感想の提供を締め切り,実際に販売するデザインを選定し,2 週間で生産して販売する。
⑥ 翌月以降は,②〜⑤を繰り返す。
M 社は,経営会議において新たなビジネスプロセスの構築を決定した。CTO(Chief Technology Officer)である Y 氏は,IT 企画室に対し,このプロセスを実現するために必要なデジタル技術を活用した施策の検討(以下,デジタル活用施策という)及び検討した施策の実行計画の策定を指示した。ただし,経営会議では,経営層が“施策に対する投資については,施策の投資効果を検証しながら段階的に行うこと”という条件をつけている。
M 社の IT 企画室のリーダーである X 氏は,次の 2 点を開発する施策を立案した。
・会員から感想の収集や投票の受け付けを可能とする,モバイルデバイスで利用する EC サイトの機能を拡張したアプリケーションプログラム(以下,モバイルアプリという)
・既存のデータやモバイルアプリを通じて新たに得られるデータを活用するためのデータ分析基盤
〔デジタル活用施策の概要〕
モバイルアプリとデータ分析基盤それぞれの機能の概要は次のとおりである。
(1) モバイルアプリ
・会員は,モバイルアプリ内で商品を選択して商品イメージや仕様を確認できる。
・会員は,商品の感想を“好き・嫌い”のボタンとテキストのコメントで送信できる。
・会員は,気に入った商品が見つかった場合は,買い物カゴに入れたり,購入したりできる。
・会員に対してモバイルアプリからメッセージをプッシュ通知できる。
・候補デザインの投票者に選ばれた会員(以下,投票者という)に対して,投票者に選ばれた旨と投票期限の通知を行い,候補デザインへの投票を促すことができる。
・投票者は,モバイルアプリから通知を受けて,着てみたい候補デザインを選択することによって投票できる。
・投票者は,候補デザインについても商品と同様に感想を送信できる。
(2) データ分析基盤
・データ分析基盤には,会員データ,購買データ,在庫データ,買い物カゴデータ,モバイルアプリからの投票結果データと感想データが蓄積できる。
・投票者からの候補デザインに対する投票結果データ及び感想データを分析し,候補デザインを評価できる。
・
(ア)商品に対する感想データから会員の好みを分析し,その会員の好みに合い,かつ,他の会員があまり購入していない商品情報をメッセージとして自動生成し,モバイルアプリに連携できる。
〔CTO からのコメント〕
M 社の CTO である Y 氏は,X 氏の提案に対し,次の指摘を行った。
① 施策をある期間実施して投資効果の検証を行うこと。
② 会員アンケートの分析結果を踏まえて,モバイルアプリによる通販の UX を高める対策を追加で検討すること。
X 氏は,指摘①を考慮して,施策の実行計画を立案した。指摘②に対しては,次の二つの対策を立案した。
・ほぼ全てのモバイルデバイスにカメラが装備されている現状を踏まえて,モバイルアプリに M 社が導入しているデザイン支援システムの“人物画像とデジタルデータのサンプル品を合成する技術”を応用した機能を追加する。
・買い物カゴの利用方法に関連して,データ分析基盤からあるメッセージを生成し,会員に通知する。